ゆずの木法律事務所 弁護士 岩崎 紗矢佳
「都市農地の現場から」第12 回は、「農地なき後の農家の生き方」です。農家が農地を持ち続けたいと考えても、相続や区画整理などにより、宅地転用したり売却したりせざるを得ないケースが多くあります。今回は、農地を宅地にせざるを得ないけれど、それでも、可能な限り地域に緑の風景を残し、長い間その土地を守ってきた地主とし
て地域コミュニティを守っていくという決断をした方を取材してきましたので、ご紹介したいと思います。
1. 相続の発生と地域の緑を守ってくれる売り先探し
取材したのは、首都圏の市街化区域内に農地を有する代々の農家であったAさんです。
数年前、Aさんが先代から相続した際の相続税は数億円に及び、現金での用意が難しい規模となりました。そこで、Aさんは、相続税の納税のために、やむを得ず元々所有していた賃貸アパートに隣接する土地を売却することに決めました。その土地は、相続前に農地から駐車場に転用してはいたものの、一部は家庭菜園スペースとし、駐車場の周囲には果樹などの植栽をして四季の彩のあるものでした。このような土地が、何の面影もなく、同じデザインの無機質な家々が所狭しと並ぶ風景に変わってしまうのはあまりに残念だと考え、土地をこの地域のために活用してくれる人に売りたいと考えました。
Aさんは、自分の思いに合った買い手を探すために、買い手候補から土地の活用方法の提案を受ける為の説明会を開催しました。その中から最終的に「コーポラティブハウス方式」と呼ばれる手法で賃貸住宅を経営するという提案をした買い手に売却することにしました。コーポラティブ方式 とは、簡単にいうと、集合住宅を造る際に、予め入居者を集い、その入居者の希望を取り入れた住宅を造るものです。この買い手との調整により、売却後も、これまでのように緑を活かし、また、隣接するAさん自身が経営する賃貸アパートと一体としてコミュニティを形成できるような空間を作れる集合住宅ができることになりました。
2.納税期限と金融
しかし、説明会などを行って買い手探しをする となれば時間がかかり、10 か月という相続税の納税期限までの売却が間に合いません。そこで、 Aさんは農協に相談し、納税資金の融資を受けることにしました。その融資は、当初3年間は利息のみの支払いで元本の返済は3年後からというものでした。Aさんは、「元本返済が3年後からというこの資金のおかげで焦って土地を売却せずに済んだ。」「他の家の相続を見ていると、とにかく相続税の支払に追われ、『買い手が誰か』『その土地がどうなるか』よりも、早く高く買ってくれることに重点を置かざるを得なくなってしまう。しかし、この納税資金の融資があれば、誰に売るかをじっくり考えられる。この土地の未来を考えて売ることができる。」といいます。
3.売却後の土地と既存アパートの共生
Aさんは、その後、予定通り上記のコーポラテ ィブ方式の賃貸住宅を経営したいとする買主に売却し、買主は長屋と戸建てを組み合わせた賃貸住宅を完成させました。住宅の内装等は簡素にし、入居者が自由度の高い DIY をできるようにしました。そのため、建築費用も比較的低額に抑えられ、建築前に入居者を募るので完成後に借り手が付かないといったこともありません。また、新しくで きた賃貸住宅とAさんの既存アパートの境には塀などはなく一体となっています。以前の駐車場の頃のように、敷地内には植栽や入居者が利用できる家庭菜園も残して緑の空間が広がります。子どもが自転車の練習をしたり、入居者が BBQ などに利用したりできるスペースもあります。
実は、この場所は、今残っている多くの都市農地がそうであるように交通の便がよくありませ ん。最寄駅から徒歩 30 分で、その間に勾配もあります。
Aさんの経営する既存アパートの築年数は 25年を超え、先代の頃は入居者募集に苦労していました。しかし、Aさんがアパート経営を継いでから、前の入居者の退去後、内装を壊し、次の入居者の希望を取り入れた内装にして貸出す形にした ところ、すぐに満室になったといいます。Aさんは、こうしてアパート住人とコミュニケーションを図って築いたコミュニティを、売却して自分の手を離れた隣の土地でも継続したいと考え、それができる買い手を探し、新たな住宅ができても、買い手と協力して一体的な緑住空間を造り出すことができました(写真1、2)。


4.地域と共存する賃貸経営
Aさんは、上記とは別にもう一ヶ所、住宅を建設しています。もともとは、広い畑が広がっていて、その隣に実家と所有する賃貸アパートがあった場所でしたが、都市計画道路が建設されることになり、畑の真ん中に道路が通り、建物は取り壊され、畑は、家庭菜園程度の面積しか残りませんでした。畑があった頃には、年末に実家の庭に近所の人が集まって餅つきをしたり、軒先に吊るし て作っている干し柿を、近隣住民が散歩がてらに買いに来たりするなど、地域の中心となる場所でした。
そんなAさんが都市計画道路の開通に、非常に残念な思いをしたことは言うまでもありません。 しかし、Aさんは、それを逆手にとって都市農家が都市環境と時代と共存していく方法を考えます。
まず、残った畑の横に母屋を建て、2階は住居 とし、1階は地域の親子の集まる自治体の事業を行えるスペースを設け、地域の人が集まれるようにしました。日常的に「年末の餅つき」機能を果たせる場所となります。
畑と同じ敷地内に建てた別居する親族の家は、移設可能な木造の住宅にし、将来、生活スタイル や家族構成が変わるなどしてこの家が必要なくな った際には底地を畑に戻せるものにしました。
また、都市計画道路を挟んだ向かいの敷地には、賃貸物件として2階建ての長屋を建設してい ます。Aさんは、この長屋の上棟式に、昔ながらの「餅まき」をしました。子どもの頃に、「空からお餅が降ってくる」のを経験し、今の子どもたちにも経験させてあげたいと考えたそうです。Aさんに餅まきの感想を聞いたところ、「この地域を守ってきた重鎮の方々が喜んでくれてほっとした。」とのことでした。古くて新しいことを地域の先輩の理解を得ながら進めている様子が分かります(写真3、写真4)。


5.農地を失った農家の生き方
筆者は、この1年あまり、多くの農地・農家の 現場にお邪魔してきました。その数は、(きちんと数えてはいませんが)100 件を超えると思います。農地が少ない都市部の農家が生活をしていくには、やはり代々所有するその土地を活かして賃貸経営をしていくことが理に適っています。また、ひとたび相続が発生したならば、その相続税の額は、土地を売らなければ用意できない規模になるのが現実です。
都市農地も安心して貸せる制度(都市農地貸借円滑化法)ができたと説明しても、「自分の畑に他人を入れたくない、身体がきつくてもこの土を 大事に作って来たんだ。」という高齢の農家にも会いました。
そのように大切に大切に農地を守ってきた農家 なのに、相続が発生した途端、そこに何があったか全く思い出せないような風景に変わってしまうと思うと、やるせなくなり、どうにかならないものかと思っていた矢先に、Aさんに出会いました。
以前、「病気になって農作業ができなくなった。 この故郷の風景を残してくれるのなら若い人に貸 したい。この農地が返って来る頃、私はもうこの世にいないだろう。それでも農地が商品とならず、故郷の風景となる道を選びたい。」といって相続時解約特約のない長期の農地の賃貸借をした方に会ったことがあります。実際に、その農地は今も農地として残り、借り手が地域の人に愛される農園を経営されています。とても素晴らしい事例だと思いますし、農地が残っていて筆者も嬉しく思 っています。
しかし、事情はそれぞれで、真似したくともで きる人ばかりではありません。そこで、農地を転用しても、故郷の風景や空気を思い出すことでき る方法として、Aさんのように、理解のある買い手をみつけることや、農地や地域コミュニティと 共存できる賃貸経営を紹介させていただきました。
ただ、これは、農家が一人でできることではあ りません。相続や区画整理などで大変な思いをしている農家を傍で支えてコーディネートしてくれ る存在が必要です。それは、やはり農協なのではないかと思います。
とても印象に残っているAさんの言葉がありま す。「農家は、農地を失ったとしても、土地を守ってきた者として地域の中心でいられる。畑が賃貸アパートになったときには、畑からいただいていたものを、今度は、このアパートに住む人から大切にいただく。そうやって中身が変わっても、農家は土地と共にあるんです。」
筆者は、1年間この連載をさせていただき、都 市農家と都市農地の関係をずっと考え続けてきました。様々な規制や制度の中で、自分の思い・家族の思い・周囲の声を擦り合わせながら、理想と現実の狭間で苦しい思いをしている農家を見てきました。Aさんの事例や言葉は、そのような思いをしている農家に光を差すものではないかと思います。